「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」。
「クラシック音楽」に相応する西洋音楽の生みの親であり、バロック音楽において中心となる1人。
現在では拡散弾を飛ばしたりしているが、クラシック音楽に於いてはベートーヴェンやモーツァルトらに並ぶ大巨匠に相応しい存在。
代表曲は「G線上のマリア」「トッカータとフーガ」「パストラーレ」「主よ人の望みの喜びよ」等
オペラ以外は幅広く作曲しており、中でも演奏家としての得意楽器だった「パイプオルガン」を用いた楽曲が多く存在する。
バッハという略称よりも…
ヨハン・ゼバスティアン・バッハを略称で「バッハ」と呼ぶのはあまりオススメはしない。
理由としてはバッハでは「バッハ一族」を指すこともあり、バッハ一族は多くの音楽家が存在するからだ。
バッハ一族でも一番有名な「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」を指す場合は「J・S・バッハ」「大バッハ」辺りがオススメである。
(けど実際の所、バッハと言うとJSバッハを指すが主になっている)
休暇とトラブルメーカーと強い意志
ガールズシンフォニーでも少々遅れての登場(帰還)になったJSバッハだが
JSバッハ自身は4週間の休暇を取って約400kmを徒歩で旅行とかする人である。 交通機関使いましょう。
(なお実際は返ってくるまでに3ヶ月掛かっており叱責された)
またJSバッハは相当な「トラブルメーカー」だった。
あまり良い仕事ではなかったため掛け持ちしたり作曲で小銭を稼いだり (契約違反)
より良い職場を見つけて移動しようとしたけど、元が辞職を承諾しないまま二重契約したり (契約違反)
それで逮捕されてたりしていたという。
その裏側には「強い意志」があったとされている。
技術を身につけるための熱心な勤勉さは「月下の写し」という逸話がある程。
それらからくる強い意志は持ち前の短気さもあって時に反感を買う(上記の二重契約も反感によるもの)事もあった。
あの熱血っぷりにはこれらの強い意志があってのものであろう。
今の存在は後継者達のお陰
今では「音楽の父」と教えられるほどの存在であるJSバッハだが、死後はすぐに忘れ去られた存在であった。
当時でも大分古い方の者(バロック)であり、またバロック音楽自体が一度歴史に消えかけたからである。
しかし後継者や様々な作曲家によってバロック音楽は細々と引き継がれていき
メンデルスゾーンの指揮による「マタイ受難曲」の上演によって一気に再評価を受けることに。
その後19世紀~20世紀でもドビュッシーやラヴェルらを始めとした作家等によって今に受け継がれている。
今のJSバッハの存在はバッハの意志を持った「後継(作曲)者達」に守られた「バロック音楽の火種」のような存在とも言えよう。
カノン手法
JSバッハを語る上で地味に外せないのが「カノン手法」。
JSバッハの楽曲では良くこのカノン手法を用いた作品が登場する。
カノン手法は同じメロディを異なる地点から始める手法の事。 「パッヘルベルのカノン」とかが該当する。
もっとわかりやすく言えば「かえるのうた」のようなもの。 あれも大きく言えばカノン手法の作品。
なお音楽用語「カノンコード」は「カノン手法」と全く関係ない。 あれはコード進行の話。
スキル名「楽しき狩こそわが悦び」
通称「狩のカンタータ」とも言われる15曲で構成された声楽作品。
日本においては9番のアリア「羊は憩いて草を食み」の冒頭が有名。
JSバッハが仕えていた主の親友の誕生日に祝典曲を贈ろうとして作曲を命じた作品と推測されており
親友の趣味である「狩猟」をテーマとした作品となっている。
ちなみに「楽しき狩こそわが悦び」は「1番」に相応する。 言わばこの作品集の顔になる。
ドーモ、オガワ=サン。
現代ドイツ語で"Bach"という単語は「小川」(英語の"Brook"に相当)を意味する。ベートーヴェンはこれをもじって
「バッハは小川でなく大海である」(Nicht Bach, sondern Meer sollte er heißen)と評している。
ただし、厳密にはバッハ一族の家名は「小川」とは語源が異なり、本来は「おひねり、ギャラ」などの意味であった。
これはバッハの祖先が流しの芸人として生計を立てていたことに由来すると考えられる。
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