フランツ・ペーター・シューベルト。 別名「歌曲の王」
オーストリアの作曲家であり様々なジャンルの作曲をしているが
特にドイツ歌曲に関して高い評価を得ており、そこから「歌曲の王」とも呼ばれている。
手がけた楽曲数は1000超、完成品は600超。 31歳で亡くなっている事から相当なペースで書いており
特に1815年(当時18歳)には休日除き2日に1曲のペースで仕上げていた。 なんなんだこいつ。
ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンらを始めかなりの接点を持っている。
シューベルトの特徴「メモ」
シューベルトの楽曲の多くは譜面が異常なレベルでややこしく、それでいて解釈次第でどうとでもなる書き方がされている。
理由として「メモの様にバンバンと譜面に書き加えていた」等と言われている。
主なものとして「ヘアピン」と呼ばれる装飾記号。 これをどう解釈するかで曲の雰囲気がガラリと変わる。
また当時の譜面とは異なる書き方をしていたために21世紀になった今でも研究次第でその譜面は変わり続けているという。
またシューベルト自身は「メモを異常なまでに取る」人だったようで寝ている間もメガネを付けていた程。
(思いついた瞬間に書けるようにする為だったとか言われている)
そして「忘れ症」だったようで自身が作曲した曲すら忘れていた時も…
「良い曲だなと演奏してた人に「この曲の作曲者は?」を聞いたら自分だった」という事が結構あったという。
後にできる事と実際にやった事
「ベートーヴェンも居るのに後にできる事とかあるのかな?」と言うセリフがあるがこれは実際友人に言った内容。
結論から言うとシューベルトの功績として「ロマン派の幕開け」が存在する。
当時モーツァルト・ハイドン・ベートヴェンの古典派3強が居た頃と重なったシューベルト。
古典派を超大雑把に言うと「型に嵌った音楽」であり、3強がこれを破った作品を出しても殆ど良い評価が出なかった時代。
その頃から評価は得られなかったがロマン派よりの楽曲を作っており、これらが後にロマン派として評価を受けることとなった。
(けどシューベルトの代表曲の多くは古典派の方だったりする)
葡萄
ぶどう好きなシューベルトだが、実際好きだったのはぶどう…というかワインより「ビール」である。
相当ビール好きだったようで「午前は作曲、午後は友人らとビール」の日課をやってたとか。
ただシューベルトとブドウの繋がりとして「Lob des Tokayers」という歌曲がある。
和訳すると「トカイ賛歌」であり、トカイワインの賛歌である という意見がある。
トカイワインはトカイ地方特有の気候で生まれたブドウを用いたワインであり
「気候特有で発生する霧を白ブドウによって付着、カビを発生させてブドウの水分を抜き糖の密集を上げる」という栽培方法のブドウを使用。
簡単に言うと…言い方は悪いが「カビたブドウで作った白ワイン」。
しかしこのワイン、ルイ14世が大絶賛した逸話もある大変美味なワインだったりもする。一度飲んでみて頂きたい。
(もちろんお酒です。20歳未満の子は飲んではいけません。)
歌曲「魔王」
シューベルト自身が魔王だった訳ではなく、シューベルトが作曲した歌曲の1つ。
一番最初に出版された楽曲であり、作曲番号は328に対して作品番号が1となっている。
語り手と逃げる親、怯える子、追いかける魔王の表現が目まぐるし転調等で表現されておりシンプルながらその表現力は高い。
なおこの曲を作ったキッカケが「ゲーテの誌「魔王」を読んで興奮した」から。
そして4時間程度で譜面を書き上げ、(他人任せに)神学校へ持っていき夕方には演奏されていた。 あんたらおかしい。
しかし曲の評価自体は当時あまり良くなく (ロマン派側に位置する楽曲だったのもある)
友人らの協力の元100部限定で出したアルバムと公演で瞬く間に広まったのである。
作曲家との接点
シューベルトは他作曲家との接点が多い。
特に モーツァルト(ヴァネサ・モーツァルト)・ハイドン(フランカ・ハイドン)・ベートーヴェン(ルイーゼ・ベートーヴェン) らとの接点は特に多い。
ただベートーヴェンに対しては尊敬より畏怖の念に近い。 そりゃあんな弱音も吐く。
対してモーツァルト・ハイドンは愛していた対象とも言える。 そりゃ曲を聴いたら体が震えるほどに。
またロマン派の幕開け役だったシューベルトに「影響された」作曲家も多い。
メンデルスゾーン(メンデルスゾーンさん)、ブラームス(ヨハンナ・ブラームス)
ブルックナー(ノーティア・ブルックナー)、ドヴォルザーク(アニー・ドヴォルザーク) 等
音楽の歴史に於いてコレほど影響された作曲家も中々居ないだろう。
性格
内向的で気難しく短気な性格だった。
自らが作曲した『さすらい人幻想曲』のお披露目の演奏の際、終盤部分が難しすぎて弾けず、
「こんな曲は悪魔にでも弾かせてしまえ!」とキレたというエピソードがある。
また、飲み屋でいい気分になっている時、知人のオーケストラのメンバーに曲を作ってくれと依頼されたときは、
「芸術という言葉か語らえるとすればそれは僕についてであって、ソロ演奏を要求するような君たち虫けらどもについてではない!」とキレたこともある。
金銭に頓着しない性格だったらしく、パガニーニがウィーンに来た際は演奏会のチケット(パガニーニのチケット代が非常に高額だった)を買うため家財道具を売り払ったという逸話もある。
演奏会を聴いた後は「アダージョでは天使の声が聞こえたよ」と大満足だったとか。
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