―元ネタ―
アレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti, 1660年5月2日 - 1725年10月24日)
バロック期のイタリアの作曲家。
特にオペラとカンタータで著名である。
バロックオペラのスタイルを確立したとされ、オペラにおけるナポリ楽派の始祖と考えられている他、カンタータ(比較的短い形式の曲)を600曲ほど作曲している。
また、妻との間に10人の子をもうけており、その中の子が、同じくバロック期の作曲家として活躍する事になるドメニコ・スカルラッティ(ドミーナ・スカルラッティの元ネタ)とドメニコの弟ピエトロ・フィリッポ・スカルラッティである。
繰り返すが、アレッサンドロ・スカルラッティとドメニコ・スカルラッティは、兄弟ではなく親子である。クラシックに興味を持たれた指揮者諸兄は間違えないよう気を付けたし。
(どシスコンの元ネタは不明。情報求む。)
―スキルについて―
「カンタータ・美はしき花の精よ」(Bella madre dei fiori)
アレッサンドロ・スカルラッティ作曲の同名のカンタータ曲が元ネタ。
クライマックスの高ーいソプラノが印象的な曲ですよ。
曲はこちら→ ようつべ(約30分)
―小ネタ―
・ツギハギオペラ「パスティッチョ・オペラ」
バロック時代に流行した手法で、自分の過去の曲や、時には他人の曲まで拝借して継ぎ合わせて、異なる物語・異なる文脈のオペラを作るという手法。
(今やったらパクリ炎上必至ですね。当時は普通だったんでしょうか。「炎上商法」みたいなのもあったりしたんでしょうか)
・「出身地で教会の偉い人がオペラを禁止したりしてさ~」
17世紀のバロック時代、ヴァチカンはオペラを”背徳と道徳的混乱の温床である”として上演を禁止することが度々であった。1675年には教皇クレメンス10世がすべての劇場活動の禁止令を出している。
音楽は教会のものか、劇場や貴族の音楽室のものか。宗教的な権能としての音楽と、世俗的な娯楽としての音楽のせめぎ合いがあった事がうかがえる。
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