元ネタはフランツ・ヨーゼフ・ハイドン。”ハイドン”という作曲家は他にも弟のヨハン・ミヒャエル・ハイドンもいるのだが、後述のエステルハージ家や「びっくり交響曲」との関係から兄のヨーゼフだろう。
―フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn)―
18世紀から19世紀初頭にかけての作曲家。
どんな時代かパッとしない人は、プロイセンの勃興、アメリカの独立、フランス革命、ナポレオン戦争などがあった頃を想像して欲しい。ちなみにハイドンとアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンは同年に生まれている。
1732年、オーストリアに生まれた。6歳の頃から音楽の勉強を始め、8歳の時にシュテファン大聖堂の楽長に認められ、そこで聖歌隊に入る。食事も満足に与えられなかったそうだが、ハイドンの音楽的才能は此処で大きく磨かれたのである。(作曲家が少年期に聖歌隊で活動するというのはよくある事であり、ハイドンもその一人である)
しかし少年は変声期を迎え、その高音を失い聖歌隊を追い出されてしまう。それからはフリーランスとして働き、音楽教師などの職にもついた。この頃から音楽を作りはじめ、名声を獲得していくのである。
―エステルハージ家とハイドン―
彼女も何度か言及しているが、史実でもエステルハージ家がパトロンであった。エステルハージの”ハージ”には英語で”ほろ酔いの”と言った意味があるが、もちろん関係ない。”ほろ酔い気分のエステル”では決してない。
ハイドンが作曲家として活動し始め、名を上げるとエステルハージ家の副楽長としての仕事を得る。その数年後に楽長となるのだが、ハイドンは以後の人生のほとんどをエステルハージ家と過ごしている。
またエステルハージ家は4代にわたってハイドンのパトロンであった。(音楽には興味が無かったアントン・エステルハージ侯爵もいるのだが、彼も経済的な支援はしていた)
エステルハージのお嬢様が雌牛扱いする、の元ネタがわからないです。ご存知の方がいらっしゃましたら追記お願いします
:聖歌隊で変声期を迎えたハイドンに、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアが「雄鶏が鳴いてるわ!(crowing)」と指摘している。それと英語の「Cow(雌牛)」をかけたものと考えられる。要するに第二次性徴で大きくなった・・・を指してだろう
- リストとハイドン-
フランツ・リストの父 アーダーム・リストが10代の頃、キシュマルトン(現アイゼンシュタット)においてフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの監督するエステルハージ家のサマーオーケストラでチェロを演奏していた。
- モーツァルトとハイドン-
ゲーム内でも大の仲良しだが、史実でもモーツァルトとハイドンは親友であった。モーツアルトに6つの弦楽四重奏曲をプレゼントされている他、ハイドンもモーツァルトの息子をミラノ音楽院に留学させたりしている。
―交響曲の父、弦楽四重奏の父―
ハイドンは後世の人々に尊敬を込めてこう呼ばれる。ゲーム内では女性の為「交響曲の母」「弦楽四重奏の母」となっているだろう。音楽の母とは一般に呼ばれている。
―びっくり交響曲―
彼女との会話でたびたび登場する「びっくり交響曲」であるが、これは彼女の冗談にすぎない、という訳ではなく、実際に存在する。
その名も交響曲第94番ト長調である。これは「驚愕」と呼ばれることもあるが、それは曲の内容に因るもの。第二楽章にて、穏やかな主題が繰り返された後に、大音量の和音が突如として鳴り響く。これは一説には演奏会で居眠りをする客をびっくりさせるために書いたものだともいわれている。そんなお茶目な彼女の性格はここから来ているのかもしれない。
―ザッハトルテ(Sachertorte)―
彼女の好物だが、史実のハイドンもこれが好きであったとは考え難い。このザッハトルテは彼の時代の、もっと後の食べ物であるからである。ザッハトルテとはウィーンのチョコレートケーキであり、ウィーンのちょっとした名物料理でもあったりする。
オリジナルはウィーンのホテル・ザッハーのみであるが、日本でもデメル社のものが手に入れやすいだろう。今度デパートに行った際にはぜひ探してみて欲しい。
だが別に自宅で作ることが難しいという訳ではない。彼女に手作りしてあげて、一緒に食べたい!という指揮者は是非作ってみよう。
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