カール・ツェルニー(1791年2月21日-1857年7月15日)
名前の発音はドイツ語ではチェルニーだが、日本ではツェルニーと発音・表記される事が多い。ガルシンでもツェルニーと表記している。
ドイツのウィーンで生まれたオーストリア人だが、家系的にはスラブ系のチェコ人である。3歳でピアノを弾き、7歳で作曲を行った神童。10歳の時にはベートーヴェンの家を訪れて『悲愴』を弾く機会に恵まれ、晴れて弟子入りを果たし13歳までの三年間、ベートーヴェンの指導*1を受け、ピアノ演奏を基礎から学びなおさせられた。
その後フンメル・クレメンティの両名にも学び、自身の音楽理論を確立させていった。
ツェルニーはベートーヴェンの曲は全て演奏することが出来る程暗譜力に優れていたが、生涯を通してコンサートピアニストとしては殆ど活動をしていない。というのも演奏家ではなく作曲家・教師としての道を選んだ為である。なんと14~15歳頃には既にピアノ教師として活動しだしており、瞬く間にウィーン中で評判になるほどだったようだ。生徒として著名な者を挙げるのならリストやレシェティツキ等がこれに当たる。特にリストを「プッツィ」という愛称で呼びレッスン料も取らずに熱心に指導したと言われている。
余談だが、天職といえる程の教師活動に対し彼は「儲かりはするが、健康によくない仕事だった…」というちょっとした愚痴を書き残してもいる。1日に10時間~12時間もレッスンをしていたというのだから当然である。
ツェルニーといえばやはりピアノ練習曲が有名である。ピアノを習っている人の多くがツェルニーの練習曲を弾いた事が有るのでは無いだろうか。この練習曲群は教師体験をもとに書かれたとされており、現代でも練習曲として使われる程の完成度である。退屈でイマジネーションに欠ける(byシューマン)とても実用的な練習曲は楽しみながら弾いたり人に聞かせたりする事には向いていない物が多いが、ピアノの実力を上げるのにはうってつけのものとなっている。
勿論良い曲も有るのだが練習曲というだけあり技巧的に難しいものが多く、他人に聞かせられるような演奏が出来るまでには相当な練習が必要だろう。ようするに練習する子供にとってはあまり面白くないでFA
練習曲の印象が強く、それだけしか書いていないかのように思われる事も有るツェルニーだが、そんな事は無い。
交響曲・弦楽四重奏曲・ピアノソナタ・ピアノ協奏曲・宗教曲・編曲作品等、様々な曲を作り出しているオールマイティな作曲家である。
作りだした曲数は作品番号が付いている物だけでも861に及ぶ*2が、その内、練習曲はほんの数%だけである。
それだけしか作っていない練習曲が彼の代名詞の様に言われるのは、退屈ではあるがそれだけ素晴らしく合理的な練習曲だからである。
カリーナが趣味に猫グッズ集め・"ネコ"の世話、スキルで出てくる猫…と、やたら猫を強調しているのはカール・ツェルニーが大の猫好きで有ることからだと思われる。勿論人間を飼ってなどはいない。
スキルである『巧みなる指先』のとてもSM系な猫の女王様達はルービンシュタインがツェルニーの練習曲を子供への拷問と評したように練習曲の難易度がとても難しい事から取られていると思われる。前述の通り実際苦痛な物が多い。が、断じてツェルニーがドS人を虐めることが好きだった訳では無い…と思われる。
むしろ教育能力に欠けたピアノ教師たちによるいい加減なレッスンや矯正器具などを用いた拷問のようなピアノ教育に心を痛め、きちんとした理念に基づいた自分の練習曲を用いることで不幸な目に遭う学習者を減らしたいという思いで練習曲を作ったようだ。練習曲の内容は単調で精神的な苦痛を強いるが。やはりドSだったのかも?
ちなみに教師と作曲の仕事により高額なギャラを稼ぎながら、その生活は贅沢とはほど遠く、出版社や業界人との関係は有ったが基本的に人づきあいを好まない上に生涯殆ど遠出することもないという、さながら引きこもりのようであったとも言われている。
億万長者と称して差支えない遺産を残して66歳に痛風で亡くなった。
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