モデルとなった人物はロシアの作曲家の
ミハイル・イヴァーノヴィチ・グリンカ(1804/6/1-1857/2/15)。
キリル文字表記ではМихаил Иванович Глинка。
国民楽派の祖とされ、ロシアのみならず埋もれがちであった各国の民謡、舞曲などの発掘と編曲に業績がある。
ドイツ、フランス、あるいはイタリアにおいて主に育まれた洗練され高度に専門化した音楽とは異なる、それぞれの地域に根付く音楽を尊ぶ姿勢は、のちに多くの追従者を得た。
【経歴】
1804年6月1日
ロシア帝国ノヴォスパスコイェの裕福な貴族の次男として生まれる。
1810年代?
アイルランドの作曲家ジョン・フィールドにピアノを習う。
父の所領の農奴たちが演奏する吹奏楽などを好んで聴いていた。
1818~1822年
ペテルブルクの貴族寄宿学校に学ぶ。
卒業後、運輸省に役人として勤め、文豪プーシキンやポーランドの詩人ミツケヴィチらと交流する傍ら、
アマチュアのピアニスト、歌手として活動する。
1830~1834年
イタリア・ドイツを旅行する。
イタリアではオペラ作曲家のベッリーニやドニゼッティに才能をみとめられる。
ドイツではデーンに音楽理論と作曲を本格的に学ぶ。
この間、室内楽作品を多く手掛けた。
1836年
オペラ『皇帝にささげた命』(あるいは『イワン・スサーニン』)を作曲。
この作品は広く受容された最初のロシア語によるオペラであるといわれる。
…こんにちではあまり聞かれない作品であるが。
1842年
オペラ『ルスランとリュドミーラ』を作曲。
初演や初期の上演こそ失敗したものの、のちに多くの作曲家がこの作品のスタイルに追随する。
ロシア民謡の使用と不協和音や独特の音階が特徴である。
原作はプーシキンによる同名の作品で、原作、音楽ともにロシア的な要素の結実である。
1840年代半ば
ドイツにてリストと、パリではベルリオーズと出会う。
スペインを訪れ、スペイン民謡に触れる。
1843年
ロシアに演奏旅行で訪れたリストが『ルスランとリュドミーラ』を聴き、
同曲中の「チェルノモール行進曲」をピアノ独奏用に編曲。
1845年
スペイン民謡を用いた『ホタ・アラゴネーサ』を作曲。
1848年
同じくスペイン民謡を用いた『マドリードの夏の夜の思い出』を作曲。
1857年2月15日
ベルリンにて没(満52歳)。
グリンカの遺体はロシアのアレクサンドル・ネフスキー大修道院に埋葬されている。
同じ修道院には、ロシア五人組のほか、チャイコフスキー、アントン・ルビンシテイン、マリウス・プティパらが眠っている。
【時代背景とグリンカの音楽史上の位置】
グリンカが生まれた当時、帝政ロシアの貴族たちは、イタリアのオペラなどの輸入音楽を好んでいた。
多彩で高度な芸術が育まれたヨーロッパの中枢からは地理的に隔絶したロシアにあって、
当初高尚な芸術とは見做されず、しかし確かに土着の文化として定着していたロシア民謡に着目したのがグリンカであった。
洗練された欧州文化の中心たるドイツ、フランス、イタリアなどの国の人々によって培われた音楽でなく、
民謡や民族舞曲のような音楽に着目するという傾向は、19世紀中葉から20世紀にかけて興隆した「国民楽派」、
あるいは民族主義音楽と呼ばれる大きな時代の潮流の中に位置づけられ、グリンカとその作品は、この「国民楽派」の濫觴であったといえる。
グリンカに端を発する「国民楽派」はスラヴ諸国、北欧、スペインなど、西欧文化の中心からは若干地理的に離れた田舎地域において特に花開いたものである。
なお、ロシアの「国民楽派」の作曲家はなぜかスペイン音楽に惹かれる人が多い(グリンカ、リムスキー=コルサコフなど)。
【人物】
旅行家として知られ、ロシア国内の民族・民俗音楽に留まらず旅先にて触れた民族・民俗音楽を自作に取り入れた。
先述の通り、帝政ロシアの貴族たちは輸入された西欧的な音楽を好んだため、
グリンカの作曲したロシアの大地に息づく民謡などに基づく音楽は、必ずしも好意的な評価を得られなかったという。
却って国外の、欧州文化の中枢たる国々の人々にグリンカの音楽は愛好された。
こうしたこともあってグリンカは旅を好んだのかもしれない。
貴族たちにはあまり受け入れられなかったとはいえ、グリンカは比較的若い世代の音楽家たちの尊敬を集めた。
のちの人はグリンカを「ロシア音楽の父」と呼んだ。
チャイコフスキーではなくグリンカこそが「父」と呼ばれたのは、彼の作曲活動が単に美しい曲を書いたというにとどまらず、
土地土地に根付いた音楽に光を当て、ロシアという一つの世界の存在を音楽史の中に揺ぎ無く確立し得たからであろう。
【補遺:おすすめの曲】
・『ルスランとリュドミーラ』より「序曲」
オーケストラのアンコールとして頻繁に演奏される一曲。
グリンカといえばこの曲しか知らないオーケストラ団員は数知れず。
ちなみにムラヴィンスキー指揮の同曲はトンデモない速度なので、一聴の価値あり。
余談だがムラヴィンスキー指揮のレニングラード響といえば、音を外せばシベリア送りとの噂がまことしやかに囁かれるなど、おっかない規律正しいオーケストラとして有名である。
・「ひばり」
ピアノ伴奏付きの歌曲としてグリンカが作曲した。
一般にはピアノ独奏のバラキレフによる編曲版が知られている。
旋律が繊細で美しいので、アウアー編曲のヴァイオリン版もお勧め。
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