ジャック・オッフェンバック(1819 - 1880)、ドイツに生まれ、フランスを中心に活躍した作曲家・チェリスト。
台詞と舞踊を含む歌劇(喜劇であることが多い)であるオペレッタの成立に多大な貢献を果たした。
この名前はペンネームであり、本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルスト。
オッフェンバックの姓は父親の出身地であるドイツのオッフェンバッハから取ったもの(~バック、はフランス語読み)。
ゲーム中ではズーズー弁気味の口調で話す田舎娘として描かれるが、モデルのオッフェンバックはドイツ有数の宗教都市ケルン生まれであり、
ペンネームの由来となったオッフェンバッハもフランクフルトに隣接する歴史ある街で、あまり田舎という感じではない。
(もっとも、彼が活動した華やかな芸術都市パリに比べれば十分に田舎、という意味合いかもしれないが。)
音楽を学ぶためにパリに出、1855年にはパリで自ら劇場を開く。
彼の名声を爆発的に高めたのが、後世で代表作と評価される『地獄のオルフェ』(1858)である。
これはギリシア神話の、死んだ妻を取り戻しに冥界に赴くも、あと一歩のところで禁を破り失敗する琴の名手オルフェウスの悲劇のパロディ作で、
実際には夫・妻とも愛人を作り関係は冷え切っているが、周囲に押され体面のために嫌々妻を取り戻しにいくものの、
最後は救出に失敗して喜んで愛人のもとへ帰っていきハッピーエンド、という皮肉に満ちた喜劇となっている。
軽快で劇的な音楽と、皮肉や風刺に富んだシナリオでたちまち大人気を博したが、一方で低俗な喜劇と批判する者もあり、
パリに「オルフェ論争」と呼ばれた議論を巻き起こした(結果的に話題作としてより知られるようになった)。
日本では、1914年に帝国劇場で初演された際のタイトル『天国と地獄』でも知られる。
「天国と地獄」と言った場合、運動会のBGMや「カステラ1番電話は2番~♪」の文明堂のCMでよく知られた序曲第3部を指すことも多く、
黄金の旋律で「天国と地獄」を使用した際に流れるメロディもこれである。
その後も『美しきエレーヌ』(1864)『青ひげ』(1866)『パリの生活』(1866)『ジェロルスタン女大公殿下』(1867)など
ヒット作を連発。オペレッタの流行はドイツ語圏にも伝わり、スッペやシュトラウス2世にも多大な影響を与えた。
特殊攻撃の名である『ホフマン物語』は彼の遺作であり、彼の代名詞である軽妙な喜劇とは対照的な正調オペラの悲劇。
完成をみないままオッフェンバックが死去し、補訂を経て1881年に初演された。
特に二重唱「美しい夜、おお、恋の夜よ」(通称「ホフマンの舟歌」)が有名であり、
ゲーム中オッフェンバックがオーケストラに立つ際に舟に座るのはこれがモチーフであると思われる。
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