ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)。 フランスの作家(ピアニストではない)。
短命だったためあまり曲数は多くないもののオペラ作家として曲を書いており
代表作品が「カルメン」「真珠採り」「アルルの女」等。それ以外にもピアノ曲等を手掛けている。
天性は「ピアノ奏者」だったけど…
父は声楽講師、母はピアニストの子であり記憶力が抜群だったジョルジュ・ビゼー。
9歳でパリ音楽院に入り鍵盤楽器の演奏や音楽理論の理解力は1位を取っていた程の鍵盤楽器の扱いは天才っぷりであった。
ある時、リスト(リストも結構化物染みたピアノ技量を持っており、高難度のピアノ曲を作っている)が新曲を出した際
「この曲は私ともう1人(ハンス)にしか弾けない」と言ったものをビゼーは一度聴いただけで軽く演奏でき、譜面を渡すと完璧に演奏してしまう。
これに対してリストが前言撤回して絶賛したものの、ビゼー自身は「オペラ作家」を目指しており、「ピアニスト」になろうとは思っていなかった。
「カルメン」の悲劇は作者へ
スキル名である「カルメン」は4幕で構成されたオペラ。
プロスペル・メリメ著の小説『カルメン』を元に作られている… のだがかなり改変が入っている。
主だったものは下記のようなもの。
・ 犯罪集団 → 密輸団
・上官と言い争いになり、上官を刺殺、その後軍を脱走するシーン → 削除
・主人公となる女「カルメン」の扱い 性悪なあばずれ → 誇り高き女性
その他人種差別辺りも削除されており、簡単に言えば「黒い部分をかなり削った」作りになっている。
しかしこの改変でウケが良かった… とは言い難い結果になった。
ヒロインが「女性労働者」であったため、初演は失敗扱いになっている。
ただ客入り自体は悪かった訳でもなく、その後「大規模編成でやるので改作依頼」が入っていたという。
この依頼を受諾したもののビゼー本人の体調悪化が進んでおり、休養を前に挟んでいる最中に心臓発作で亡くなってしまう。
その後友人であった「エルネスト・ギロー」がその後手を担当し無事に完成して演奏。 これが大成功して今の評価に繋がったのである。
その為カルメンの評価はビゼーの死後に付いたもの とされている。
なお死後の評価はなかなかのもので、ドビュッシー、サン=サーンス、チャイコフスキーなどから賞賛され
ニーチェに至っては「20回も観た」と言うほどドハマリしていた。
評価の主要としてはヒロインの存在。 悲劇の運命を受け入れたその役回りに注目を浴びる事となったであろう。
アルルの女とカルメンの繋がり
実は「元ネタ」がつながっている訳ではない。
アルルの女はドーデの短編小説から取られており、同じ小説から取られているわけではないのである。
「アルルの女」の一部がカルメンに転用されたのである。
その後もカルメンはいくつか他作者による編曲が施されるのだが
その都度アルルの女からの一部転用が採用されており「何か聴いたこと有る」ような作りになっていった。
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