アドルフ・アダンまたはアドルフ=シャルル・アダン(Adolphe-Charles Adam)1803 - 1856
フランスの作曲家・音楽評論家。メガネ装備。
1803年パリに生まれる。父親はピアニスト・音楽教師・作曲家。他人の作品を学ぶよりは即興演奏が好きな子供だった。父親からは音楽家になるよう望まれてはいなかった。
1821年にパリ音楽院に入学し、オルガン演奏をボイエルデューに師事。20歳になるまでにパリの劇団一座のために歌を書き、ジムナスト座の楽団指揮者や楽長も務めた。
作曲で稼いだ金で気軽にヨーロッパ各地を旅行し、ジュネーヴで後の協力者となる台本作家のスクリーブと出逢う。アダンは作曲の筆が速く、1830年までに28作の舞台音楽を完成させている。
フランスで作曲やジャーナリズムで活動するも、オペラ座の支配人と口論の末に、彼は莫大な借金を重ねて、1847年にパリで3つ目の歌劇場、テアトル・ナショナル座を開設する。だが翌年の1848年革命によって閉鎖に追い込まれ、目も眩むような借金だけが残る。
一時期ジャーナリズムに戻るも、1849年から没年まで、パリ音楽院作曲科で教鞭を執っている。
1856年にパリに没し、モンマルトル墓地に埋葬された。
多くのバレエ音楽やオペラを手掛けており、現在ではバレエ『ジゼル』が特に有名。
また、クリスマスキャロル『おお聖夜(O Holy Night)』が国際的に有名。日本では「さやかに星はきらめき」(讃美歌第二編219番)、「清らに星すむ今宵」(聖歌)、または「オー・ホーリー・ナイト」として知られてる。
―スキル「ジゼル」について―
アドルフ・アダンのバレエ『ジゼル』が元ネタ。
心臓の弱い村娘ジゼルのドロッドロの悲恋の物語。
貴族の青年アルブレヒトは、婚約者がいるにも関わらず、村娘のジゼルに恋をする。
アルブレヒトは身分を隠し名をロイスと偽り、ジゼルに近づき、二人は想いを通わせて結婚の約束をする。これを面白く思わないのは、ジゼルに恋する村の青年ヒラリオン。彼はアルブレヒトが村人に変装する小屋を見つけ、アルブレヒトの剣を持ち出す。
ある時、ジゼルの村にアルブレヒトの婚約者・バティルドの一行が狩の途中に立ち寄る。お互いの相手がどちらもアルブレヒトだとは知らないジゼルとバティルドは、お互い結婚を控えている者同士として友人となる。
しかしその後、ヒラリオンがジゼルの前でアルブレヒトの身分を暴くため、彼の剣を見せ、またバティルドと公爵である彼女の父を連れてくる。もはや誤魔化しようのなくなったアルブレヒトは、バティルドの手にキスをする。それを見たジゼルは狂乱状態に陥り、母の腕の中で息絶える。
死んだジゼルは、結婚を前に亡くなった処女の精霊・ウィリの女王ミルタによって、ウィリの仲間に迎え入れられる。ウィリたちは夜中に墓場に迷い込んできた人間や裏切った男を死ぬまで踊らせる亡霊である。
ヒラリオンはジゼルの墓に許しを請いにやってくるが、ウィリの鬼火に追い立てられ、休むことを許されず踊らされ、最期はミルタによって死の沼に突き落とされる。
その間に、ジゼルを失った悲しみと悔恨にくれるアルブレヒトが彼女の墓を訪れ、亡霊となったジゼルと再会する。ミルタはアルブレヒトをも捕らえ、力尽き死に至るまで踊らせようとするが、ジゼルはミルタにアルブレヒトの命乞いをし、やがて朝の鐘が鳴り朝日が射しはじめる中、ウィリたちは墓に戻っていく。アルブレヒトの命は助かり、ジゼルは朝の光を浴びアルブレヒトに別れをつげて消えていく。
※アルブレヒトについて
まあどう足掻いてもサイテーのウワキヤローと言ってしまえばそれまでなわけですが。
親に決められた婚約に渋々従わざるを得ない立場で道ならぬ恋をしてしまったのか、あるいは完全にお遊びで村娘にちょっかい出したナンパヤローだったのかは、脚本家やダンサーの解釈に任されている。『ジゼル』の物語としては、アルブレヒトがどういう想いでジゼルに言い寄ったのか、その真意については語られていない。
つまり、スキル発動ボイスの「妖精達の怒り」というのは、「妖精」と言い換えているもののウィリ達の怒りであり、要するに「浮気男は死ね」という怒りである。くわばらくわばら
なお、『ジゼル』は本国フランスでは1868年に上演が途絶えてしまっており、現在広く公演されているのは「ミンクス版」と呼ばれるアレンジバージョンである。
『ジゼル』はフランスで上演が途絶えた後もロシアでは人気が続き、その中でレオン・ミンクスによってアレンジされて現在に至っている。
参考:Wikipedia
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