~ 鉦鼓の概要 ~
鉦鼓(しょうこ、しょうご)は雅楽に用いられる打物(うちもの)と呼ばれる打楽器の一つである。
鉦鼓の構造は、鉦(かね)と呼ばれる金属製の円盤を枠に紐で吊るして固定した体鳴楽器である。
鉦の裏には灰皿のような凹面があり、その凹面を桴で摺るようにして打つことで「キン」と残響の少ない高音を奏でる。
つつましやかなその音色は、鈴虫の声にも例えられる。
基本的な奏法は片方の桴で1回だけ鳴らす「金(きん)」と両手の桴で交互に1回ずつ音を出す「金金(ききん)」の二種類である。
雅楽においては他の打物である太鼓、鞨鼓(かっこ)もしくは三ノ鼓(さんのつづみ)と共に合奏のリズムパターンを作り出す役割をもつ。
各打物の基本的な役割は以下の通り。
- 鉦鼓
小さな区切りごとのリズムをきざむ。
小拍子(こびょうし)の頭に打つ。
(※小拍子:西洋音楽でいうところの小節のような区切りのこと。)
- 鞨鼓および三ノ鼓
全体のリズムを統括する。
曲ごとに定められたパターンで打つ。
- 太鼓
大きな節目ごとのリズムをきざむ。
複数の小拍子で構成された拍子と呼ばれる大きな区切りの頭に強く打つ。例えば四拍子なら小拍子四つごとに太鼓を強く打つ。
(※拍子Xという風に表記されている場合は意味が異なる。この場合は曲全体で太鼓がX回打
たれることを表している。)
鉦鼓は各拍子で太鼓と一緒に打つときに、太鼓にわずかに遅れて打つ奏法を用いる。
太鼓の音色を装飾的な響きで彩るこの奏法は鉦鼓の大きな特徴の1つとなっている。
熟達した楽師による演奏ならば、太鼓と鉦鼓の音が一体になったかのような不思議な感覚を味わう事ができるだろう。
オクラホマ大学が作成した以下の教材で参考実演を見ることができる。
Gagaku: The Court Music of Japan (complete)
鉦鼓の音色を味わってみたい方は、打物が最も活躍する「陵王乱序」という曲をきいてみる事をおすすめする。
太鼓と鉦鼓が四拍のリズムをきざみ続け、鞨鼓がその間を縫うように打ち鳴らす中、数管の龍笛が追吹(おいぶき)を奏でるシンプルな曲である。
※ 追吹 : 各管が少しずつ演奏を始めるタイミングをずらして同じメロディーを吹く奏法。クラッシックでいうところのカノン。
鉦鼓単独の音色を聴いてみたい方はこちらを参照。(釣鉦鼓のみ。)
・日本の伝統音楽~楽器編~ 楽器図鑑 鉦鼓(しょうこ) - 文化デジタルライブラリー
・鉦鼓の奏法と役割 - 文化デジタルライブラリー
・東京藝術大学 小泉文夫記念資料室 鉦鼓
~ 鉦鼓の歴史 ~
鉦鼓の起源については定かではないが、鰐口や鉦盤という金属製打楽器を元にして日本で作られたと言われている。
雅楽器の鉦鼓に関する最古の記録と推察されるのは、平安時代前期の安祥寺資財帳に載る「鉦鼓 四面」という867年の記述である。
したがって、遅くともこの時期には鉦鼓が存在していたと言われている。
これより古い資料にも鉦鼓という記述はあるが、これは鉦(しょう、かね)と鼓(こ、つづみ)という別々の楽器がセットで使われていたために二つの楽器をとまとめて表記したもので雅楽器の鉦鼓とは異なるとみられている。
ちなみに、紛らわしいようだが後の時代では即位礼や寺社の法要等の儀式で用いる鉦鼓を鉦、太鼓を鼓と称する例がある。
年代の記銘がある現存最古の鉦鼓の遺例は、平安時代後期の長承3年(1134年)のものである。
~ 鉦鼓の種類 ~
雅楽に使われている鉦鼓は大きく分けて以下の三種類がある。
- 釣鉦鼓(つりしょうこ)
管絃(かんげん)と呼ばれる打楽器、絃楽器、管楽器で構成された器楽合奏(楽器のみの合奏)に用いる。
鉦を枠付きの四足台(架)に吊るしたもの。
架の頂部に火焔形のかざり金具をつける事が多い。
全体の外観はショウコが使用している武器とだいたい同じである。
鉦の材質は青銅製が主流。鉦の直径は15cm前後。架の高さは80cm前後。
- 大鉦鼓(おおしょうこ)
舞を伴う舞楽(ぶがく)に用いる。
基本的な構造は釣鉦鼓と同じだが、全体が一回り大きい。
架の周囲には火焔、雲象、宝珠、龍、鳳凰などの極彩色の木彫が施される。
左方用と右方用の二種があり、装飾が異なる。基本的には左方なら龍、右方ならば鳳凰の装飾がつく。
釣鉦鼓よりも低音で力強い音色を奏でる。野外でもよく響く。
鉦の材質は真鍮製が主流。鉦の直径は37cm前後。架の高さは2m前後。
明治神宮の大祭や宮内庁式部職楽部の秋季雅楽演奏会で見ることができる。
- 荷鉦鼓(にないしょうこ)
法要や大喪の礼などの儀式で行列を作って歩きながら演奏する道楽(みちがく)で用いる。
架に担いで持ち歩くための柄を水平に取り付けたもの。架に直接柄を取り付けたタイプと、架を柄に吊るしたタイプの二通りがある。
架には大鉦鼓と似たような彫刻が施される。
鉦の材質は真鍮製が主流。鉦の直径は24cm前後。
薬師寺の花会式や四天王寺の聖霊会、上賀茂神社の葵祭(賀茂祭)などで見ることができる。
なお、大鉦鼓については釣鉦鼓で代用されるケースが非常に多い。
正式な舞楽用の舞台をあつらえるのは金銭的な負担が大きいためである。
大鉦鼓それ自体も高価なのだが、一緒に使用する舞楽用の太鼓である大太鼓(だだいこ、火焔太鼓ともいう)は新調すれば数千万円、レンタルでも数百万円は楽にかかってしまうのである。
~ ショウコのスキル 右舞・綾切について ~
右舞 綾切は右方の四人舞で、多人数でゆったりした所作で舞う平舞(ひらまい)の一つ。
どこか能面を髣髴とさせる、なにやらジト目でこちらを睨んでいるかのような表情の舞楽面を付けて舞う演目である。
元々は女性が舞う女舞で、廃絶したのち近世になって男舞としてあらためて再興された。
なお、ショウコの武器には反時計回りの三巴が描かれているが、これは舞楽においては左方を象徴する文様である。右方の場合は本来時計回りの二つ巴となる。
また、基本的に鉦鼓の鼓面に巴紋を入れる事はない。
ちなみに近世以降の天皇の即位礼では鉦鼓を鉦、釣太鼓を鼓と称してセットで用いるのだが、このとき用いる鼓は天皇から見て左方に配置されるため鼓面に三つ巴が描かれている。
また、鉦と鼓の架(楽器をつるす台)は、少なくとも大正~令和の即位礼で使用した物はデザインが共通しているため、知らない人がパッと見た時に同じ楽器と勘違いする可能性がある。
- 右舞(うまい)と左舞(さまい)
雅楽にはいろいろな分類があるが、その中でも大陸や朝鮮半島にルーツを持つ演奏形式のうちで舞を伴うものを舞楽(ぶがく)という。
舞楽は左方(さほう)と右方(うほう)に分かれており、舞の形式や楽器編成、装束の色などが異なる。
左舞は主に唐、インド、ペルシャなどをルーツとする大陸系の楽舞で構成されており、右舞は主に朝鮮半島や渤海をルーツとする楽舞で構成されている。
装束や装身具の色は、左方は主に赤・紫・金を用い、右方は主に緑・青・黄・銀を用いる。
左方、右方共に現代に至るまでに一定の形式にしたがって手を加えられて国風化しているため、演目による差異は小さくなっている。
なお、外来音楽の作風や理論にならって作られた日本由来の演目も多く含まれている。また、左方と右方両方に割り当てられている例外的な演目も存在する。
正式な作法では左舞から舞い始め、その次に右舞、左舞、右舞と交互に演じていく。
また、左右で似たような舞振りの演目を一組として、対応する演目をセットで上演する番舞(つがいまい)という決まりごとがある。
必ず左方の舞が先行することから、上演される左舞の番舞となる右舞を答舞(とうぶ)という。
綾切の番舞となる左方の演目は央宮楽(ようぐうらく)と玉樹後庭花(ぎょくじゅごていか)である。
-以下余談-
舞楽がなぜ左方と右方に分かれているのか?と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれない。
はっきりした経緯はわかっていないが、古代日本の政治制度である左右両部制や陰陽思想の影響を強く受けたためであるとされている。
演奏・儀式の主体となる組織に合わせて演目を左方と右方に振り分けたり、陰陽にあてはめるといたことが行われていたというのだ。
例えば右近衛府のための儀式に用いるならば右舞、左近衛府のための儀式に用いるならば左舞、陽をあらわすのは左舞、陰をあらわすのは右舞といった具合である。
~ ショウコの姓(?)「エンギ」 ~
雅楽の演目の一つである延喜楽(えんぎらく)が由来であると思われる。
醍醐天皇の御世である延喜8年(908)に作られた曲で、元号にちなんで延喜楽と名付けられた。作舞を式部卿敦実親王が、作曲を左近少将藤原忠房が担当したとされている。
延喜が縁起に通じるためか、慶事に舞われる事が多い。
綾切同様に右舞の平舞で、通常は4人で舞う。左方の番舞は万歳楽。
舞人は襲装束(かさねしょうぞく)を着用し、鳥甲という帽子をかぶる。
この演目では、一番上に着用する袍(ほう)の片方の袖に腕を通さない片肩袒(かたかたぎぬ)という着装を行う。
襲装束は武官束帯が元になっているため、装束の構成が非常に似通っている。
~ ショウコの妹、ミコについて ~
名前からすると雅楽器の打物の一つである三ノ鼓(さんのつづみ)が元ネタであると思われる。
三ノ鼓は砂時計形の胴をもつ鼓(つづみ)の一種で、右舞の伴奏に用いる。
鼓はインド生まれの楽器であるが、三ノ鼓は中国で作られた三鼓という鼓が日本に伝来したものであるとされている。
革面と胴長共に40㎝前後の大きさで、日本に現存する鼓の中では最大の大きさである。
ちなみに、鉦鼓は奈良~平安時代前期に雅楽が国風化する過程で日本で生まれたとされている。
つまり、元ネタである楽器が作られた年代的に見れば本来はミコの方がお姉さんということになる。
~ 雅音傭兵「カグラ衆」 ~
雅楽と神楽の関係
・現在の雅楽の分類には、宮中の特別な祭儀で奏されてきた「御神楽(みかぐら)」という神事芸能が含まれている。
・雅楽は里神楽(さとかぐら)を含めた民間芸能にも様々な影響を与えている。
里神楽の中には、地方に伝わった雅楽がそのまま神楽化したものもある。
・昭和初期以降の近現代に雅楽を元にして作られた神楽も存在する。
皇紀二千六百年記念行事のために作られた浦安の舞がもっとも有名である。
雅楽なのに武闘派?
雅楽というと、「神社仏閣やお正月の音楽」とか「雅な宮廷文化」といった印象で語られる事が多い。
ゆえに、雅楽器のニュムパが武闘派の傭兵団所属であるという設定がミスマッチに感じる方もいらっしゃるだろう。
実は、雅楽は古くから武人とも縁が深い。
現代に伝わる雅楽の大枠が成立する平安時代において、近衛武官が雅楽の重要な担い手となっており宮中の様々な儀式で演奏に携わっていた。
そして、平氏から徳川家まで各時代に権力を握った武家もまた雅楽を庇護してきた。
詳細は省くが、雅楽は権力者の重要な教養として、また宮中や主要な寺社での儀式芸能として欠かせないものとなっていた。
それゆえ、権力を握った武家にとっては権威的にも宗教的にも、そして宮中との社交的な意味でも雅楽が必要だったのである。
平氏が造営した厳島神社や源氏が造営した鶴岡八幡宮の例祭で、今でも舞楽神事が催されているのはこのような経緯からである。
武士と雅楽にまつわるエピソードも多い。
中でも、平敦盛の「青葉の笛」や、笙の名手である源新羅三郎義光(みなもとのしんらさぶろうよしみつ)の秘曲伝授に関する話が有名である。
興味がある人はとりあえずググってみるべし。
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