二胡(にこ、拼音: èrhú)
中国の伝統的な擦弦楽器の一種で、2本の弦を間に挟んだ弓で弾く。
琴筒と呼ばれる底部の筒はニシキヘビの皮で覆われている。
原型楽器は唐代に北方の異民族によって用いられた奚琴(※1)という楽器であるとされる。
この頃は現在のように演奏するときに楽器を立てず、横に寝かせた状態で棒を用いて弦を擦り、音を出した。
宋代に入り演奏時に立てて弾く形式が広まり、この頃には嵆琴と字を変えて呼ばれるようになった。
宋代宮廷のある嵆琴奏者が一本の弦で曲を弾いたエピソードが沈括《補筆談・楽律》に見え、この時ある程度の演奏技術が確立していたことが分かる。
同じく沈括の「夢渓筆談(※2)」の記録より、宋代で既に馬の尻尾が弓に用いられていた様子が伺える。
近代になり劉天華等によって演奏技法が高度化され、それに伴い楽器自体も改良が重ねられた。
1920年代には西洋音楽が中国に大量に入り、劉天華をはじめとした音楽家たちは中国の伝統文化と融合させた新しい音楽や奏法を開発する。
劉天華は二胡独奏曲「良宵」、「光明行」など十曲を作曲し、それまで戯曲の伴奏が主体であった二胡に、独立した楽器としての地位を与えた。
現在普及している形は1950年代から文化大革命の停滞期を挟んで、1980年代頃に出来上がったものが基本となっているとされる。
日本においてはこの楽器を胡弓と呼ぶ場合がある。
だが、中国の二胡と日本の胡弓には直接の繋がりがなく、胡弓は日本の伝統楽器、および伝統的な擦弦楽器群の総称を言い、中国には胡弓と呼ばれる楽器はない。
江戸時代には既に明清楽 (※3、殊に清楽)の流行と共に二胡の原楽器である胡琴が演奏されていたが、きちんと「胡琴」と呼ばれ、胡弓とは区別されていた。
しかし明治初期にはヴァイオリンをも胡弓と呼んだ例があり、「胡弓」が広義の意味で擦弦楽器の総称としても使われる一方、明治から昭和前半にかけ、本来の胡弓が衰退して知名度が低下した結果、次第に混同されこのような誤用が起こったと考えられる。
またこの誤用が一般的に普及した背景もあってか、中国胡弓と紹介する例も存在する。
ただし、この場合前出の「胡琴」や「京胡(※4)」などの中国の伝統的な擦弦楽器全般(「胡弓」の用法と同様に)を指す場合もあり、読み手には文脈上の注意が必要になる。
いずれにせよ、混同による問題を避けるためにも、楽器そのものの持つ文化的背景などを尊重するためにも、正確な呼称が用いられることがのぞましいが、楽器そのものの普及とともに、次第に解決されていくと考えられる。
しかし、近年では琴筒を覆うのに使うニシキヘビの皮が「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(CITES(サイテス)。俗に言う「ワシントン条約」のこと)」などの動物保護条約に絡み、国際的に輸出入規制が強化されている関係から、安価な製品ではメーカーによっては規制の対象外である代用皮革(例えば羊・犬の皮や人工皮革・合成皮革など)を用いることがある。それらには通例、蛇のうろこ模様がプリントされているので、よく品質を確認する必要がある。
※1:奚琴(けいきん、中国語: シーチン、朝鮮語: ヘグム)
奚(4世紀から10世紀頃までモンゴル高原東部から中国東北部にあるラオハムレン(老哈河、遼河の源流)流域とシラムレン(遼河の支流)流域に存在していた遊牧民族)によって古代中国にもたらされ、朝鮮半島に伝わった擦弦楽器。
※2:夢渓筆談(むけいひつだん)
北宋の沈括(しんかつ)による随筆集。26巻。ほかに『補筆談』・『続筆談』がある。
特に科学技術関係の記事が多いことで知られる。
没するまでの8年間、潤州(今の鎮江市)で隠居生活しており、その間(おおむね北宋の元祐年間)に書かれたものである。
なお、夢渓とは隠居中の住居の名前。
※3:明清楽(みんしんがく)
明楽:江戸時代中期に明朝末期に中国南方(福建を中心とした地方)から日本へもたらされた唐宋の詩詞を歌詞とした音楽
清楽:江戸時代後期に中国南方からもたらされた俗曲を中心とする音楽
上記二つを総じて呼ぶ際の用語。
明清楽は明治20年代から30年代にかけて流行した。
なかでも『九連環』がもっとも流行し、看看節や法界節の源流となった。
清楽と明楽は明確に区別されるべきところだが、明治初年に清楽が明楽を吸収しつつ拡大したこともあって、一般的にあわせて明清楽と呼ばれる。
※4:京胡
京劇で用いられる中国の弦楽器。
胡琴の一種で、胡琴の変種の中では最も小さく、音が高い楽器である。
演奏方法も他の胡琴類とは異なり、京胡の演奏はそれ専用の学習と練習が必要となり、流派として継承されてきたほど。
Do As Infinityのシングル『真実の詩』(特に冒頭の部分)で用いられた楽器としても有名。
――以上、wikipediaより引用――
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