#author("2020-08-28T00:15:32+09:00","","") //----------------------------------------------------------------------------- *ドミィ・ショスタコーヴィチ [#name] #region(''進化後''COLOR(white){_}) &attachref(ショスタコーヴィチ_進化後.png,nolink,60%, ){進化後の画像を添付}; #endregion #region(''超進化後''COLOR(white){_}) &attachref(ショスタコーヴィチ_超進化後.png,nolink,30%, ){超進化後の画像を添付}; #endregion //----------------------------------------------------------------------------- |>|>|>|>|>|>|>|CENTER:110|c |>|>|>|>|>|>|>|~プロフィール| |>|>|>|&attachref(ショスタコーヴィチ.png,nolink,50%, ){キャラクターの画像を添付};&br;&br;''演奏家のドミィ・ショスタコーヴィチです。&br;&br;多くのものを書きましたが、&br;交響曲で評価して頂くことが多いでしょうか。&br;&br;故郷のメドヴェーチは、少し複雑な土地で……&br;文明ギルドも絡んで、色々ありました。&br;&br;だから何かご迷惑をかけてしまうことがあるかもしれません。&br;ごめんなさい。&br;&br;でも、私、きっと貴方のこと、守りますから!&br;頑張っていきましょう、生きましょう!''|~名前|>|>|ドミィ・ショスタコーヴィチ| |~|~|~|~|~レアリティ|>|>|[[★★★★>☆☆☆☆性能一覧/テーブル]]| |~|~|~|~|~属性|>|>|COLOR(blue):論理| |~|~|~|~|~武器種|>|>|銃| |~|~|~|~|~種別|>|>|演奏家| |~|~|~|~|~出身|>|>|メドヴェーチ地方| |~|~|~|~|~好きな物|>|>|ウォッカ(酒には強いが節度を守って飲む)| |~|~|~|~|~特技|>|>|球技の審判| |~|~|~|~|~趣味|>|>|トランプでのひとり占い| |~|~|~|~|~長所|>|>|真面目/前向きに強く生きることに努める| |~|~|~|~|~夢|>|>|抑圧のない世界で作曲を続けること| |~|~|~|~|~SD|>|>|&attachref(,nolink,80%, ){キャラクターアニメGIFを添付};&br;&br;&attachref(,nolink,80%, ){演奏会アニメGIFを添付};| |>|>|>|>|>|>|>|~ステータス| |~LV|~生命力|~攻撃力|~防御力|~素早さ|~演奏力|~クリ発/ダメ増|~ガー発/ダメ減| |~1|400|554|472|572|416|6.4% / 16.6%|6.4% /16.6 %| |~70|?|?|?|?|?|% / %|% / %| //Lv70のステータスは覚醒ボーナスとシンフォニアツリー分を引いた値 |~90|?|?|?|?|?|% / %|% / %| //Lv90のステータスは「覚醒10回目」の覚醒ボーナス込みで、シンフォニアツリー分を引いた値 |>|>|>|>|>|>|>|~スキル・アビリティ・装備| |~特殊攻撃|>|スキル名|Lv1|>|>|>|15%の確率で、133%のダメージ&攻撃力を8%DOWN| |~|~|~|Lv極|>|>|>|30%の確率で、| |~音楽魔法|>|スキル名|Lv1|>|>|>|敵3体に300%のダメージ&攻撃力を9%DOWN| |~|~|~|Lv11|>|>|>|効果| |~|>|>|>|>|>|>|&attachref(,nolink, ){戦闘スキルアニメGIFを添付};| |~アビリティ:1|>|アビリティ名|第1楽章|>|>|>|効果| |~|~|~|第2楽章|>|>|>|効果| |~|~|~|第3楽章|>|>|>|効果| |~アビリティ:2|>|アビリティ名|第1楽章|>|>|>|効果| |~|~|~|第2楽章|>|>|>|効果| |~|~|~|第3楽章|>|>|>|効果| |~シンフォニア装備|装備名|>|Lv 1:ステ1+??? ステ2+???|>|>|>|が持つシンフォニア装備。&br;| |~|~|>|Lv60:ステ1+??? ステ2+???|>|>|>|~| #region(''★★★★★上限解放'') |CENTER:|>|>|>|>|>|>|CENTER:110|c |>|>|>|>|>|>|>|~ステータス| |~LV|~生命力|~攻撃力|~防御力|~素早さ|~演奏力|~クリ発/ダメ増|~ガー発/ダメ減| |~100|?|?|?|?|?|% / %|% / %| //Lv100のステータスは「覚醒20回目」の覚醒ボーナス込みで、シンフォニアツリー分を引いた値 |>|>|>|>|>|>|>|~スキル| |~特殊攻撃|>|スキル名+|Lv1|>|>|>|15%の確率で、| |~|~|~|Lv極|>|>|>|30%の確率で、| |~音楽魔法|>|スキル名+|Lv1|>|>|>|効果| |~|~|~|Lv11|>|>|>|効果| #endregion //----------------------------------------------------------------------------- *ドミィ・ショスタコーヴィチについて [#prof] ここに本文 //(公式Twitterより) 2020年8月18日開始のイベント[[”最恐”屋敷のつくりかた]]の報酬として実装された☆4の楽団員。 // illust:[[>]] //----------------------------------------------------------------------------- #region(''元ネタ解説''_) モデルとなった人物はロシアの作曲家である ''ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ''(1906/09/25-1975/08/09)。 キリル文字表記では''Дмитрий Дмитриевич Шостакович''。 生没年からわかる通り、''ソヴィエト政権下での活動''がその生涯の大半を占める作曲家である。 多くの交響曲を書き、室内楽曲、協奏曲、オペラにバレエ音楽、歌曲、映画音楽にも佳曲を遺しているが、いわゆる宗教音楽の類はカバーしていない。 労働歌''「インテルナチオナール」''のオーケストラ編曲などもおこなった。 こんにちの''「ソヴィエト連邦の体制により意に沿わない作曲活動を強いられた悲劇の作曲家」''としてのショスタコーヴィチのイメージは、 ''『ショスタコーヴィチの証言』''(以下、『証言』とする)によるものであろう。 『証言』については内容に疑問の余地が多く、偽書とする向きもあるが、参考資料の一として、 あるいは単にショスタコーヴィチという人物に思いを馳せる一種の「触媒」として利用するにはいいだろう。 ちなみにこの『証言』にはショスタコーヴィチの恩師である[[グラズノフ>コンスタンス・グラズノフ]]や、[[プロコフィエフ>ゲーニャ・プロコフィエフ]]、[[ストラヴィンスキー>イリヤ・ストラヴィンスキー]]なども登場する。 ''【経歴】'' 以下、主にwikipediaと『証言』をもとに年表を再構成した 1906年9月25日 ロシア帝国の首都であるサンクトペテルブルクに生まれる。 1915年 はじめて両親に伴われてリムスキー=コルサコフの「サルタン王の物語」を鑑賞。 同年、母親からピアノのレッスンを受け、作曲を始める。 シドルフスカヤ商業学校に入学する(9歳)。 1916年 グリャッセール音楽学校に入学する(10歳)。 1917年 政情不安・社会不安のなか、路上で警察官が同年代の少年を殺害するのを目撃し衝撃を受ける。 グリャッセール音楽学校への通学を断念(10歳)。 1917-1918年 ローザノヴァにピアノを習う。 1919年 ペテルブルク音楽院に入学しグラズノフに師事する(13歳)。 グラズノフは学生の面倒見がよく、経済的に苦しかったショスタコーヴィチに目をかけていたようだ(『証言』ほかによる)。 1922年 父が死去(15-16歳)。 1923年 音楽院ピアノ科を修了。 結核療養のためクリミアを訪れ、同地にてピアノ・リサイタルを開く(16-17歳)。 1925年 音楽院作曲科を修了し、音楽院を卒業。 修了作品は「交響曲第一番」であった(18-19歳)。 1926年 音楽院の研究課程に進む(19-20歳)。 1927年 第一回ショパン国際ピアノコンクールに出場し入選(20-21歳)。 ちなみに第一位はダヴィッド・オイストラフの伴奏などで有名なレフ・オボーリンであった。 1930年 バレエ音楽「黄金時代」を作曲し、初演するも失敗(23-24歳)。 1931年 バレエ音楽「ボルト」を作曲し、初演するも失敗(24-25歳)。 1932年 ニーナ・ヴァルザルと結婚。 婚約記念として書いていた歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を献呈。 作曲家同盟レニングラード支部の運営委員に選出(25-26歳)。 1933年 ピアノ協奏曲第一番の初演(26-27歳)。 1936年 プラウダ批判を受ける。長女が生まれる(29-30歳)。 1937年 レニングラード音楽院の講師となる。 交響曲第五番「革命」を初演し成功(30-31歳)。 1938年 長男が生まれる(31-32歳)。 1939年 ムソルグスキー生誕100年記念祭の準備委員会委員長となる。 レニングラード音楽院の教授に就任(32-33歳)。 1940年 労働赤旗勲章受章。ピアノ五重奏曲がスターリン賞を受賞(33-34歳)。 1941年 交響曲第7番「レニングラード」を作曲。 レニングラード音楽院の教授を辞任(34-35歳)。 1943年 モスクワ音楽院教授に就任(36-37歳)。 1946年 レーニン勲章受章(39-40歳)。 1947年 レニングラード音楽院教授に復職。 ロシア共和国人民芸術家の称号を得る。 ロシア共和国最高議会代議員に選出(40-41歳)。 1948年 ジダーノフ批判をうけ両音楽院の教授職を解かれる(41-42歳)。 ヴァイオリン協奏曲第1番などを作曲するが、ジダーノフ批判の手前公表を控えた。 この時期の一部作品は1953年、スターリンの死後に発表。 1949年 オラトリオ「森の歌」を作曲し初演(42-43歳)。 1950年 「森の歌」がスターリン賞第1席を受賞。 ソヴィエト平和擁護委員会委員となる(43-44歳)。 1953年 スターリンの死。 交響曲第10番作曲、初演。 内容の暗さなどを巡って大論争が起こる(46-47歳)。 1955年 母の死(48-49歳)。 1956年 レーニン勲章を再び受賞(49-50歳)。 1958年 右手の麻痺(脊椎性小児まひ)で入院(51-52歳)。 1961年 ソビエト共産党党員になる。 レニングラード音楽院大学院での教職復帰(54-55歳)。 1962年 交響曲第13番を作曲、初演。 ソヴィエト連邦最高会議代議員に選出。 右手の治療のため三度入院。 イリーナ・スピーンスカヤと再婚(55-56歳)。 1965年 心臓病の増悪により入院。 ソヴィエト芸術学名誉博士の学位を得る(58-59歳)。 1966年 自身の生誕60年記念演奏会出演。 心筋梗塞で入院。 レーニン勲章をまたまた受章。 社会主義労働英雄の称号を受ける(59-60歳)。 1969年 交響曲第14番を作曲、初演(62-63歳)。 1971年 二度目の心筋梗塞で入院。 10月革命勲章を受章(64-65歳)。 1973年 姉の死(66-67歳)。 1975年 フランス芸術アカデミー名誉会員となる。 絶筆となった「ヴィオラソナタOp.147」を完成させ、7月に入院。 8月4日再入院ののち、モスクワの病院にて8月9日、没(68歳)。 死因は肺がんであった。 ''【人物】'' ショスタコーヴィチはその生涯において度々病を患っている。 結核や小児まひ、心臓病に肺がんなどである。 病弱キャラといえるかもしれないが、病気がちな一方、かなりのサッカー好きで、趣味が高じて審判資格も持っていた。 作曲した作品の傾向を概観すると、前衛的な作品が目立つ初期作品群にはじまり、 体制の要求によるいわゆる「社会主義リアリズム」的な作品を書いた中期の作品、 ユダヤ系の音楽などの引用やスターリンの死後に顕著になる前衛的作風の復活、 晩年の独自の透明な作品世界へと移り変わる。 政治的な要求に応えざるを得なかった時代を除けば、ショスタコーヴィチの作品の底流にあるのは前衛性と、 自らの病などに端を発したであろう死への思いなどであったといえよう。 (以下、補足) ちなみに頭書にて語ったとおり、こんにちショスタコーヴィチは''「体制の要求する音楽を書く葛藤に苦しんだ」''作曲家であるとされがちであるが、 『証言』の出版以前には「体制に迎合したプロパガンダ作曲家」であるとの見方が大勢を占めており、 決してショスタコーヴィチという人物が西側諸国において好意的に扱われることは多くなかった。 1975年という比較的近い時代に亡くなった人物の伝記について、その真贋を巡る論争があることには意外とされる向きもあるかもしれない。 しかし『証言』の内容は同僚であった音楽家たちへの辛辣な批判や、ソヴィエト体制に対する異議申し立てなどが多く含まれており、 これはつまり反社会主義体制的な立場(たとえば英米などの国々)からすれば逆プロパガンダとしての意味を持っていたことになる。 近現代を生きた人びとにとっても、彼らの描かれた生涯は大いに時流の影響により時に歪められ、誇張されてしまうものなのである。 (補足ここまで) ''【ショスタコーヴィチとムラヴィンスキー】'' ''エフゲニー・ムラヴィンスキー''は、ショスタコーヴィチと熱い友情によって結ばれた指揮者であった。 交響曲第5番「革命」の初演の後、交響曲では第6、8、9、10、12番、オラトリオの「森の歌」、 またヴァイオリン協奏曲第1番をダヴィッド・オイストラフと、チェロ協奏曲第1番をムスティスラフ・ロストロポーヴィチとそれぞれ初演した。 ショスタコーヴィチの''交響曲第8番''はムラヴィンスキーに献呈された交響曲であるが、 第二次世界大戦のさなか作曲され、その戦争の惨禍と犠牲者への追悼の念の籠った同曲は、 ソヴィエト連邦作曲家同盟をはじめ国内の同業者への受けも悪く、またジダーノフ批判の対象ともなって1960年まで演奏が禁止された。 粛清の虞さえあったショスタコーヴィチを救ったのは、ムラヴィンスキーその人であった。 批判され、その立場を危うくしていたショスタコーヴィチの''交響曲第5番''を積極的に演奏会プログラムに取り入れ、 同曲への深い共感と理解に基づく指揮で以て聴衆を感動させることで、ショスタコーヴィチの音楽を認めさせたのである。 そんなムラヴィンスキーだが、ショスタコーヴィチの交響曲の全曲録音は遺していない。 録音があるのは第5、6、7、8、10、11、12、15番に限られるが、いずれも素晴らしい内容である。 なお、ムラヴィンスキー自身はあまりに多くの逸話のある巨匠指揮者である。 彼の紹介を本格的に始めると何冊かの本になってしまいかねないので、興味を持たれた指揮者様はどうぞ、彼に纏わる本などをご一読めされては。 #endregion //----------------------------------------------------------------------------- #region(''ボイス''_) |>|~アルバム収録ボイス| |~シーン|~セリフ| |自己紹介(初登場)|| |戦闘開始|| |編成団員に選出|| |補佐官ボイス①|| |タイトルコール|ガールズシンフォニー| |通常攻撃①|| |通常攻撃②|| |味方ステータスアップ|| |味方ステータスダウン|| |ログインボイス①|| |生命力回復|| |補佐官ボイス②|| |敵撃破|| |音楽魔法発動|| |顔見知り|| |ダメージ発生|| |大ダメージ発生|| |団員レベルアップ|| |補佐官ボイス③|| |戦闘不能|| |戦闘勝利|| |贈り物① (普通)|| |贈り物② (喜び)|| |ログインボイス②|| |補佐官ボイス・放置|| |進化|| |友人|| |親密|| |超進化|| |時報 (0時)|| |時報 (1時)|| |時報 (2時)|| |時報 (3時)|| |時報 (4時)|| |時報 (5時)|| |時報 (6時)|| |時報 (7時)|| |時報 (8時)|| |時報 (9時)|| |時報 (10時)|| |時報 (11時)|| |時報 (12時)|| |時報 (13時)|| |時報 (14時)|| |時報 (15時)|| |時報 (16時)|| |時報 (17時)|| |時報 (18時)|| |時報 (19時)|| |時報 (20時)|| |時報 (21時)|| |時報 (22時)|| |時報 (23時)|| |>|~アルバム未収録ボイス| |指揮者誕生日|| |夏祭り|あ、お祭り……ですか。ふふ、楽しそうですけど、私はちょっと遠慮しておきます。人混みは怖いので……ごめんなさい。| //region内表整形用 |LEFT:1024|c | | #endregion //----------------------------------------------------------------------------- #region(''表情差分''_) |CENTER:|CENTER:|CENTER:|c |~喜び|~怒り|~悲しみ| |&attachref(,nolink,60%, );|&attachref(,nolink,60%, );|&attachref(,nolink,60%, );| |~照れ|~真剣|~驚き| |&attachref(,nolink,60%, );|&attachref(,nolink,60%, );|&attachref(,nolink,60%, );| #endregion //----------------------------------------------------------------------------- *コメント [#z4ea9407] #pcomment(./コメント,reply,15)