#author("2017-02-17T01:38:16+09:00","","")
*No.??? アンリエッタ・サリエリ [#fbdeb375]
//画像の撮影できる場所の説明を書く場所。
#region(''進化後'')
&attachref(,nolink,70%,);
#endregion
|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|CENTER:|c
|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|~''プロフィール''|
|>|>|>|>|>|>|>|&attachref(アンリエッタ・サリエリ.jpg,nolink,70%,);|~''名前''|>|>|アンリエッタ・サリエリ |
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''レアリティ''|>|>|[[☆☆>☆☆性能一覧/テーブル]]|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''属性''|>|>|COLOR(blue):倫理|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''タイプ''|>|>|ロイヤルガード|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''種別''|>|>|演奏者|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''出身''|>|>|クロッコ地方|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''好きな物(好感度アイテム)''|>|>|宝石|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''好きな物''|>|>|甘いもの、特にナダリン|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''特技''|>|>|クロッコ式のオペラ作曲指導|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''趣味''|>|>|ひとりでする散歩|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''長所''|>|>|困ったひとや弟子たちには親切で&br;面倒はよくみる|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''夢''|>|>|モーツァルト以上の音楽家に返り咲くこと|
//|~|~|~|~|~|~|~|~|~''追加するもの''|>|>|????|
|~|~|~|~|~|~|~|~|~''SD''|>|>|&attachref(,nolink, );|
|~''自己紹介''|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|''私はアンリエッタ・サリエリ。なんだって書けるけど、特にオペラを愛してるわ。&br;貴族の覚えもよくて、重用されてたの。……曲を知らない?&br;……えぇ、いいわ、いいわ。どうせ私は……存在感がないのよ……。&br;モーツァルトより成功していた時期もあったのに!&br;そうモーツァルトよ、モーツァルト、あのモーツァルト!''|
|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|~''ステータス''|
|>|~''進化''|>|~''Lv''|>|~''生命力''|>|~''攻撃力''|>|~''補助力''|>|~''回復力''|
|>|~''前''|>|1|>|????|>|????|>|????|>|????|
|>|~|>|??|>|????|>|????|>|????|>|????|
|>|~''後''|>|1|>|????|>|????|>|????|>|????|
|>|~|>|??|>|????|>|????|>|????|>|????|
|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|~''スキル&アビリティ''|
|>|~''戦闘スキル''|>|>|>|愛憎のアリア|>|>|>|>|>|スキル発動可能ターン(Lv1):5 → (Lv5):?|
|~|~|>|>|>|>|>|>|>|>|>|敵1体に自分の攻撃力の118%のダメージを与える|
|~|~|>|>|>|>|>|>|>|>|>|&attachref(){戦闘スキルアニメgifを添付};|
|>|~''アビリティ''|>|>|>|旋律のアマービレ|>|>|>|>|>|自身の回復力を10%アップ|
|>|~''アビリティ2''|>|>|>|独奏のアニマート|>|>|>|>|>|自身の生命力を15%アップ|
#author("2017-02-17T02:24:29+09:00","","")


*アンリエッタ・サリエリ について [#hb3628c3]
サービス開始時に実装された☆3の楽団員。事前ガチャにて獲得することができた。

#region(''元ネタ解説'')
作曲家アントニオ・サリエリ(1750年8月18日-1825年5月7日)
楽曲作品の傾向:イタリア・オペラ、室内音楽、宗教音楽

イタリア、レニャーゴ生まれ、幼少よりチェンバロ、声楽、ヴァイオリンの音楽教育を受ける。
裕福な商家に生まれるものの10歳頃には家業が傾き、両親の死去した後は北イタリアヴィネツィアへ
1766年、宮廷楽長ガスマンの目に留まりウィーンの宮廷へ招かれる
1774年オーストリア皇帝ヨーゼフ2世によって宮廷作曲家、1788年宮廷楽長に任命
1817年ウィーン楽友協会音楽院の指導者に就任


神聖ローマ皇帝・オーストリア皇帝に仕えた宮廷楽長(カペルマイスター)
ヨーロッパ楽壇の頂点に任命された、とても偉い作曲家であり指揮者であり諸侯の音楽教師でありetc…と宮廷楽長として多忙を極めた。
皇帝に仕えるという名誉の裏、ヘマをやらかしたらほぼ失業確定という失敗が許されない、不安定な職でもあった。
亡くなる直前の1824年までその地位にあり、実力はもちろん、楽壇の管理能力も素晴らしいのものであったと推察される。
全盛期はミラノのスカラ座からこけら落とし作品を依頼されてイタリアでオペラを書き、フランス・パリのオペラ座からも声がかかる人気ぶりを誇った。

また、ベートーヴェン、シューベルト、リスト、ツェルニー等、現在でも評価されている彼らを育てた名教育家でもあったという。
経済的にも成功していたサリエリは、職を失った音楽家やその遺族の為にコンサートを開催したり、才能ある弟子や生活に困窮している弟子などへの支援を惜しまなかった。

おそらく一番有名なのはモーツァルトとの対立関係なのだが、
妨害行為や盗作・果ては毒殺といったサリエリの悪評は基本的に根も葉もないスキャンダルらしい。
彼が生きていた当時から騒がれて本人は心を痛めていたが、当時のウィーンで起こっていたドイツ派とイタリア派の争いに巻き込まれたのが実情のようだ。
モーツァルトの書簡には「俺が出世できないのはサリエリが妨害するせいだ」とたびたび悪口を書かれているが、
サリエリはモーツァルトのミサ曲やレクイエムを幾度も指揮しており、実際のところ才能を認めて親交していたという。
ちなみにモーツァルトが遺した最後の手紙には、サリエリを招いて上演したオペラ「魔笛」を直接絶賛されたことが書かれている。

だがサリエリの死後、彼と彼の曲は数多の作曲者に埋もれ、語られる機会は他音楽家の生涯に名前をチラリと見るか見ないか程度であった…
(器楽より劇場でのオペラ作品が得意分野だったので再評価されにくい所もある)

のだが、現在では知名度が上がり、そして、セットで語られるのはモーツァルトが多くなった。
知名度が低かったサリエリが、時を経て評価されるに至ったのは
戯曲「アマデウス」(1979年)を映画化した「アマデウス」(1984年)
サリエリ視点でみる「天才」モーツァルト。天才への嫉妬と渇望、苦悩を表現した名作。是非ご覧いただきたい。

参考:Wikipedia
#endregion

#region(''ボイス'')
|>|~図鑑収録ボイス|
|~シーン|~セリフ|
|初登場||
|戦闘開始①||

//region内表整形用
|LEFT:1024|c
| |
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*コメント [#qee9f1d6]
#pcomment(./コメント,reply,15)


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