ヘルマン・ネッケ(1850 - 1912)、ロマン主義時代のドイツの作曲家。
ドイツ中部テューリンゲン州の生まれ。
成人後、オランダやベルギーとの国境に近いデューレンの街で音楽教師の職に就く。
1877年、同市の自営消防団で音楽隊を立ち上げ、その指揮者に就任。
一介のアマチュア楽団に過ぎなかったが、ネッケらの努力によりこの消防団音楽隊は評判を呼び、
のちにデューレン市に認められて市の音楽隊に昇格した。ネッケは死去の直前の1911年までデューレン市の音楽監督を務めた。
……要するに、ドイツのとある街で消防団のアマチュア楽団を、市の認めるご当地楽団に成長させた「わが街の作曲家先生」である。
このゲームに登場する他の錚々たる世界的作曲家・演奏家達に比べると、世界的な知名度は低いと言わざるを得ない。
どのくらいかと言うと、このキャラクターが実装された時点で本国ドイツ語版のWikipediaにヘルマン・ネッケの項目がない程度なのだ。
しかし日本において、彼の代表曲「クシコス・ポスト」の存在感は、本国での低知名度を吹き飛ばすほどに大きくなじみ深い。
嘉門達夫のパロディ曲「地獄の運動会」や、ファミコンソフトの名作『ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』BGMなど、
運動会音楽の定番であり、クラシック音楽全体を通じても大変よく知られた曲のひとつである。
ゲームソフトのBGMとしては『ヨッシーのクッキー』『パロディウスシリーズ』など他にも多数採用されており、
これら日本産ゲームソフトが海外移植された際に「このBGMはなんだ?」となって、
初めて「クシコス・ポスト」やネッケの名を知る海外の人も多いらしい。
なぜ、ドイツ本国でもあまり知られていない作曲家の曲が、日本でだけ有名になったのかの経緯ははっきりしない点も多い。
一説には、日本の宮内省に勤めた音楽家山井基清(1885 - 1970、ドイツ留学の経験あり)が日本に紹介したともいうが、
少なくとも明治時代の西洋音楽導入期に何かのきっかけで日本に伝わったことは間違いないらしい。
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