モデルとなった人物は、フランス生まれの作曲家、オルガニスト、ピアニスト、音楽教師、さらには鳥類専門の生物学者、神学者でもある
オリヴィエ・メシアン(1908/12/10-1992/04/27)。
アルファベット表記ではOlivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen。
代表作は「世の終わりのための四重奏曲」、「彼方の閃光」など。
【経歴】
1908年12月10日
フランス南部、アヴィニョンに生まれる。
1919年
パリ国立高等音楽院に入学(10-11歳)。
1927年
同音楽院にてポール・デュカスに管弦楽法を学ぶ(18-19歳)。
1928年
同音楽院在学中、モーリス・エマニュエルに師事し古代ギリシャのリズム、民俗音楽を学ぶ。
マルセル・デュプレにはオルガンを学ぶ(19-20歳)。
1929年
シャルル=マリー・ヴィドールに作曲を師事(20-21歳)。
翌年、同音楽院を卒業。
1931年
パリの聖三位一体教会(サントトリニテ教会)のオルガニストに就任(22-23歳)。
以降、メシアンは1992年に没するまでの61年間同職にあった。
ちなみにこの聖三位一体教会では1869年にベルリオーズの葬儀が執り行われている。
こんにちでも近くを通りかかるとオルガンの音や合唱が聞こえることがある。
1932年
ヴァイオリニストで作曲家のクレール・デルボスと結婚(23-24歳)。
同年、ヴァイオリンとピアノのための「主題と変奏」を作曲し妻クレールに献呈。
妻クレールはメシアンからは「Mi(ミ)」と呼ばれていた。
1937年
長男パスカル・メシアンを授かる(28-29歳)。
しかし長男の出産後、妻クレールは健康を害して手術を受けたが脳機能障害により記憶喪失となる。
やがてクレールは精神疾患を患い、メシアンは子供を一人で育てながら介護を続ける。
1939-1940年
第二次世界大戦が勃発に伴い徴兵される(30-32歳)。
目が悪かったメシアンは医療助手として軍に入隊した。
1940年
ヴェルダンにてドイツ軍の捕虜となりゲルリッツのStalag Ⅷ-A収容所に収容される(32歳)。
捕虜の中にいたヴァイオリニスト、チェリスト、クラリネッティストのために三重奏曲を書き、
これを基に「世の終わりのための四重奏曲」を作曲した。
ちなみにクラリネットのアンリ・アコカとは失陥前のヴォーバン要塞にて出会い、
当初は第3楽章にあたる部分から作曲していた。
1941年
囚人と収容所の職員の前で「世の終わりのための四重奏曲」が初演される(33歳)。
同年5月、メシアンは釈放される。
1942年
パリ国立高等音楽院の和声科教授に就任(33-34歳)。
のち同音楽院の音楽美学の教授、楽曲分析科教授、作曲家教授を歴任。
1944年
Technique de mon langage musical(『わが音楽語法』として邦訳あり)を出版(35-36歳)。
同年、『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』を作曲。
1950年
妻クレールが精神科病棟に入る(41-42歳)。
1958年
『鳥のカタログ』を作曲(49-50歳)。
1959年
妻クレールが亡くなる(50-51歳)。
1962年
ピアニストのイヴォンヌ・ロリオと再婚(53-54歳)。
イヴォンヌを伴って来日。
イヴォンヌは東京文化会館にてコンサートをおこない、『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』などを演奏した。
2台のピアノのための『アーメンの幻影』の演奏では、メシアンとイヴォンヌが夫婦で共演した。
日本各地を旅したらしく、軽井沢では鳥の声を楽譜に書き写し、雅楽にも接した。
1978年
パリ国立高等音楽院の教授を勇退(69-70歳)。
教え子の中にはヤニス・クセナキスやカールハインツ・シュトックハウゼン、指揮者として主に知られるピエール・ブーレーズなどがいる。
1987-91年
遺作となった『彼方の閃光』を作曲(78-83歳)。
1992年
83歳の春、フランスのクリシーにて没。
【人物と作風】
メシアンは世界各国を旅行した作曲家である。
日本を訪れたこともあり、その経験から『7つの俳諧』などの曲を残している。
奈良公園や山中湖、宮島や軽井沢などを訪ねたようで、それぞれ『7つの俳諧』の標題に含まれている。
音楽教師としても多くの教え子を持った。
両親から数学者になることを求められていたブーレーズの音楽的才能に惚れこむと、
彼の家を訪れブーレーズの両親を説得して音楽家になることを認めさせるなど、熱い男でもあったようだ。
また、音と色の共感覚を持っていたといい、その複雑な組み合わせによって色のモザイクを作り出すことができる、とした。
幼少期からドビュッシーの熱烈なファンで、『ペレアスとメリザンド』の楽譜を読み耽ったという。
作曲家としてのメシアンを特徴づけるものの一つに、持続音の用い方があるが、
これはおそらくメシアンがオルガン奏者であったことに起因する部分も大きいであろう。
一度発音された音が減衰する特徴をもつピアノに依存して作曲する作曲家とは異なり、
メシアンは長い持続音を可能とするオルガンを発想の基礎としたものと考えられる。
【補遺:おすすめの曲】
・ヴァイオリンとピアノのための主題と変奏
メシアンの作品としては親しみやすく、メシアンの入門編ともいえる曲。
愛する妻クレールに捧げられた作品で、初演は1932年パリのサロンにてメシアンとクレールの二人でおこなわれた。
主題と5つの変奏からなるが、ヴァイオリン、ピアノともオイシイ部分がある。
夫婦でキャッキャウフフと楽しんだのだろうか…。
白黒ながら動画の残っているダヴィッド・オイストラフの演奏などをお勧めする。
そこまで演奏しにくい曲でもないので、指揮者様も意中の方や恋人()などと演奏してみては。
・世の終わりのための四重奏曲
ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノという珍しい編成での四重奏であるが、
この四つの楽器の取り合わせとなった事情は上述の通り。
ドイツ軍の収容所内で初演されたこの曲は、タイトルの格好良さも相俟って一般に人気の高い一曲となっている。
ちなみにこの曲の題名は慣例的に「世の終わりのための」と訳されるが、
原題はFin du Tempsつまり直訳すれば「時の終わり」のための、というものである。
Tempsという語は非常に多くの訳し方ができる単語であるため、訳によっては違う曲名にみえることも。
1940年代のメシアン作品の特徴である独特の持続を意図した和音なども同曲中にはみられる。
8楽章構成という長大な曲で、音源によっては全曲演奏が一時間を超えることも。
第1楽章は水晶の典礼、第2楽章は世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ、
第3楽章は鳥たちの深淵、第4楽章は間奏曲、第5楽章はイエスの永遠性への讃歌、
第6楽章は七つのトランペットのための狂乱の踊り、第7楽章は世の終わりを告げる天使のための虹の混乱、
第8楽章はイエスの不滅性への讃歌、とそれぞれ題されている。
特殊な編成であることもあって、録音によっては呼吸が合っていないものや不調和なものもある。
録音としてはTashiというこの曲を演奏するために結成された四人組の盤を推薦する。
・われ死者の復活を待ち望む
この曲は1964年、第二次世界大戦の犠牲者を追悼するための曲として作曲された。
死者の復活などというとゾンビか何かのような話であるがキリスト教を信仰する人々は、「よき死者たち」が復活するという信仰を持っている。
5楽章構成で、それぞれ聖書を典拠とする標題がつけられている。
教会のオルガニストとして長く活動したメシアンの手になる宗教音楽である。
こんにちでもフランスをはじめとする教会にて演奏されるのを耳にする機会が稀にある。
最近の録音だがサー・サイモン・ラトルの盤などが聴きやすい。
・彼方の閃光
メシアンの遺作となったこの曲は、未完成であったものを最後の妻イヴォンヌと作曲家ジョージ・ベンジャミンとハインツ・ホリガーによって完成された。
メシアンの畢生の大作という言葉が相応しいこの曲は、メシアンの全作品中最大規模の編成を要求する作品である。
この作品は11の部分からなり、総勢128人のオーケストラで、全曲演奏には70分ばかりかかる。
78歳の老境にあったメシアンには、体力的にも完成させられなかったのも頷ける……。
これもサー・サイモン・ラトルの盤が聴きやすい。
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